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11/3(金) 9:01配信
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柿谷曜一朗、波瀾万丈のセレッソ愛。「このユニホームに初めての星を」
2005年12月3日、長居スタジアム。
第33節を終えてリーグ戦首位だったセレッソ大阪は、勝てば初優勝が決まる最終節・FC東京戦の終盤までリードを保っていた。だが、歓喜の瞬間が訪れようとしていたスタジアムは一転、サポーターの悲鳴で埋め尽くされる。
後半ロスタイム突入寸前の、今野泰幸の同点ゴール。
最終節で優勝を逃すのは'00年のファーストステージ以来のことだった。
再び起きた長居の悲劇を、翌年からのトップチーム昇格が内定していた15歳の柿谷曜一朗はスタンドから見ていた。
「プロに入る前で、ヤマちゃん(同期入団の山下達也)たちとスタンドで見てて。(追いつかれて)あんまり何も思わなかったですよ。自分が入る前に優勝したらおもんないな、というか」
そうジョーク交じりに当時を振り返るものの、あこがれてきた森島寛晃や西澤明訓らが涙する姿を目の当たりにした。
柿谷とセレッソの縁は、4歳の頃から始まった。
柿谷の歩みは、どこか育ってきたクラブの歴史と似ている。
4歳の頃にセレッソのスクールでサッカーを始め、高校1年でクラブ史上初めて飛び級でトップ昇格。「天才」と称され多くの指導者に認められながら、度重なる遅刻を理由に'09年6月に徳島へと放出された。
それでも徳島で地力をつけて'12年に復帰すると、後半戦からゴールを量産。'13年には東アジア杯で日本代表に初招集され、大会得点王となり初優勝に貢献すると、翌年のブラジルW杯に出場し、大会後にはスイスの名門バーゼルに移籍。だが、ここでまた不遇を味わったことで代表から遠ざかり、'16年にはJ2で戦っていたセレッソに再び復帰した。
波瀾万丈のキャリアはクラブの浮き沈みと重なる。
柿谷曜一朗、27歳。
波瀾万丈のキャリアは、優勝争いの翌年にJ2降格を3度も経験し“ジェットコースタークラブ”と揶揄されてきたセレッソの浮き沈みと重なる。紆余曲折を経て今、クラブの初タイトルを目指し、ルヴァン杯決勝の舞台に立とうとしている。
「ほんまに小さい時からセレッソにおったし、いろんな人にお世話になって、いろんなものを見てきたから。いや、見過ぎたかもしれない」
'16年にセレッソへと戻ってきてからの道のりも平坦ではなかった。欧州での挑戦を終えて復帰した昨季、人生で最も大きなケガに悩まされた。
6月8日のV・ファーレン長崎戦で右足関節靱帯を損傷。当初は保存療法で回復を目指していたが、8月に手術へと踏み切った。長期リハビリを経てピッチに戻ってきたのが、11月6日の愛媛FC戦。ギリギリで間に合った昇格プレーオフは準決勝・京都サンガ戦で値千金のゴールを挙げ、決勝のファジアーノ岡山戦ではフル出場して勝利に貢献した。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171103-00829213-number-socc
移籍するチーム間違えたよな
ありがとうございます
いやー、国内ではセレッソの8番に
こだわってるからそれはないと思う
クルピより森島だから
菓子杯で星付けていいのか?
そんなカップ戦で自由に付けられるんだったら
海外のテキトーなカップ戦に参加して、優勝して
ユニに星付けまくるってのも有りになる
おいおい
国内三大タイトルだぞ
リーグカップ、リーグ本戦、天皇杯は
馬鹿なの?
一番優勝してる鹿島がこれらを全て付けてるんだからいいでしょ
カップでとるしかないって感じなの?
無い。4年前から超絶に劣化してる
一時期は体を張った守備も頑張ってたが、半年でサボり始めた
なんだかんだ上手いから、Jリーグで活躍すりゃいいよ
引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1509668192/

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