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真っ先に思い出すストライカーは?
これまで日本代表のゴールキーパーとしてAマッチ116試合のゴールマウスを守ってきましたが、対戦相手の“本気度”を考えても、ワールドカップの試合は特別な大会です。
いわゆる親善試合とはプレーもそうですが、僕たちも、対戦相手の選手たちも、気持ちの入り方が違います。まさにガチンコ勝負だからこそ、普通では考えられないスーパープレーが生まれるのでしょう。
そんなワールドカップに僕は日本が初出場した1998年のフランス大会から4大会連続で出場することができました。いずれも思い出深い大会ではあるのですが、やはり、実際にピッチに立った1998年のフランス大会と2006年のドイツ大会は、特別な大会ですね。
なので、ワールドカップで対戦したベストイレブンを、4-4-2システムに当て込みながら、実際にピッチで対戦した選手の中からチョイスしていきたいと思います。
なかでも、衝撃的だった選手を挙げるとしたら、日本が負けてしまった対戦相手になりますね。正直、あまり思い出したくないのですが(苦笑)。
まず真っ先に思い出されるのは、僕がワールドカップで初めてゴールを奪われた1998年大会のガブリエル・バティストゥータです。
当時、試合前にスカウティング映像を観ていたとき、バティストゥータのシュートのほとんどが強烈なものばかり。でも、実際に僕が決められたシュートは、力を抜いて足先でチョンと浮かしたループシュートでした。
「強烈なシュートが来る」っていう意識が強かったので、最終ラインを抜け出して1対1の状況になったとき、僕はすぐさま身を投げ出してブロックに行きましたけど……完全に逆を突かれました。
あのシュートを決められたとき、「次元が違う。ああ、やっぱり世界のトップと日本との実力差はまだまだあるんだな…」と痛感させられました。
僕の中で、それ以上の衝撃を受けたFWは、2006年のドイツ大会のロナウド(ブラジル代表)でした。
全盛期の頃よりは実力は落ちていたかもしれませんが、FWとしての技術はずば抜けていて、パス、ドリブル、シュート、トラップ……その全てが一流でしたし、彼のところにボールが来たら、食らいつくことすらできない状況で、日本のDF陣はまったく太刀打ちできませんでした。
そのロナウドにヘディングでゴールを決められてしまったのですが、いろんな意味でゴール前での技術が高い選手でした。力強いドリブルの印象が強いですが、実際は技術の高さが際立っていました。判断や技術、そしてアイデアを持ち合わせたロナウドこそ、いままで対戦した中で最も次元の違うストライカーだったと思いますね。
の選手もロナウジーニョとカカには敵わない。
中盤を選ぶにしても、1998年のアルゼンチン、2006年のブラジルから選ばざるを得ません。2列目にはロナウジーニョとカカ、そしてボランチ2枚にはディエゴ・シメオネ、ファン・セバスティアン・ベロンを選びます。
僕が対戦してきた攻撃的MFの中には、クロアチアのロベルト・プロシネツキ(1998年)がいましたし、若かりし頃のルカ・モドリッチ(2006年)もいました。さらに2006年に対戦したオーストラリアにはマーク・ブレッシアーノやティム・ケイヒルもいて、アルゼンチンにもアリエル・オルテガがいました。
しかし、どの選手もロナウジーニョ、カカには敵いません。
2006年のブラジルは、ロナウジーニョ、カカ、そして最前線のロナウドの3人で攻め立てられると、もう手に負えませんでした。彼らがボールを持って攻めてくるたび、恐怖心が芽生えてくるのです。
押さえどころがなく、彼らがパス交換するだけで、日本のディフェンスラインは混乱に陥りました。彼らがボールを持った時点で、スタートが横パスではなく、スタートからゴールへと向いている。つまり、常に前線にボールが入るたび、ゴールに向かってくるという恐怖心があったのです。
ロナウジーニョは技術が高い選手と言われていますが、フィジカルの高さが際立っていました。当たり負けも、走り負けもまったくしません。カカもストライドが広いので、一歩、一歩のスピード感が別格でした。
この3人はバロンドール受賞者です。あのブラジルと対戦できたのは、いまとなっては良い経験となっています。「もはや恐れるものはない!」というメンタリティーを持つことができました。
続いて、中盤のボランチ2枚は、シメオネとベロン、1998年のアルゼンチン・コンビを選びました。
2006年に無回転のミドルシュートを決められたジュニーニョ・ペルナンブカーノ(ブラジル)も僕の中では思い出深い選手ですが、存在感という点では前述のふたりの偉大さには叶いません。
アルゼンチンの攻撃が全てベロンのパスから始まっていることは、事前のスカウティングで分かっていたのですが、それでも彼を止めることはできませんでした。フリーキッカーとしても警戒しましたが、彼の繊細なキックは本当に芸術品でした。
シメオネは当時から闘将でした(笑)。ベロンが長短織り交ぜたパスでゲームメイクをし、シメオネがやや下がり目の位置で、持ち前の闘争心剥き出しの守備で中盤を締めてましたね。
相手が日本ということもあって、アルゼンチンが終始ボールを持っている時間帯が長く、少し緩くなる場面もあったのですが、そこですかさずシメオネが締める。本当に全く隙のない2ボランチでしたね。
最終ラインには、センターバックにはルッシオ(ブラジル)、ロベルト・アジャラ(アルゼンチン)。サイドバックにはハビエル・サネッティ(アルゼンチン)、ロベルト・ヤルニ(クロアチア)を選びました。
右サイドに据えたサネッティは、アルゼンチンの攻撃陣の中で唯一目立っていたのが、上下動を繰り返していた彼の運動量でした。
サイドバックなのにFWの位置までオーバーラップしていて、対峙していた相馬直樹さん、秋田豊さんはその対応にずっと苦しんでいました。そのうえ、技術も高いし、フィジカルも強い。まさに鉄人ですね。
左サイドのヤルニも、まさに鉄人。運動量をベースに上下動の激しいプレーが印象的で、スピードに乗ったオーバーラップを警戒していました。決勝ゴールを決めたダボル・シュケルと同じくらいその存在感は強かったですね。
ハードワークと攻撃力を兼ね備えていて、スキがない。クロアチアのフランス大会3位は、彼なくして語れないと思います。
最初の対戦から大幅にスケールアップしていたGKは?
センターバックのアジャラは、その身体能力の高さに驚きました。身長はあまり高くないですが、とにかく跳躍力があって、セットプレーにも強い選手でした。
サネッティとシメオネらが動き回るなか、最終ラインでどっしりとプレーしていて、ロングボールが来たら絶対に跳ね返す。そのせいか身長が低いのに、やたら大きく感じたのを覚えています。とにかく存在感がありました。
ルッシオは大胆な攻撃参加が特徴なセンターバックですが、『攻撃的センターバック』という言葉は、彼が作り出したと言えるかもしれません。
守備も最初のチャージでかわされても足が速いからすぐにリカバーできる。攻守でゲームを決められるディフェンダーなんで、ピッチにいるだけで怖い。今でいうところのセルヒオ・ラモス(スペイン)や日本では田中マルクス闘莉王がそのタイプですね。
そして、ゴールキーパーにはジダ(ブラジル)を選びました。彼とは1996年のアトランタ五輪で対戦しているのですが、2006年の時は、あの時のジダとはまるで別人でした。
やはり黄金期にあったミランでレギュラーとして活躍し、そのうえ、スクデット、コッパ・イタリア、チャンピオンズ・リーグと数々のタイトルを獲得して自信が漲っていて、10年前とは何十倍もスケールアップしていました。
さて、こうして4-4-2に選んだメンバーを並べてみても、まさに世界のレジェンドと言える選手が名を連ねてますね。いずれも、僕のワールドカップ初勝利を阻んだ憎きライバルでもありますが、世界トップのタレントが集うワールドカップで、優勝候補と言われるチームと対戦できた経験は、勝利以上に価値のあるものだと自負していますし、僕のサッカー人生において大きな財産になっています。
■プロフィール
川口能活(かわぐち・よしかつ)/1975年8月15日生まれ、静岡県出身。180センチ・77キロ。清水商高卒業後、横浜入り。その後、ポーツマス(イングランド)、ノアシャラン(デンマーク)、磐田、岐阜を経て、現在J3の相模原でプレー。4度のワールドカップ出場を誇る日本を代表するレジェンド。プロ24年目。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171006-00010001-sdigestw-socc&p=3
イケメン カカ
ヴェロン シメオネ
ヤルニ ルシオ アジャラ サネッティ
ジーダ
いいメンバーだけどチームが偏り過ぎ
あんまりいろんな国と試合してないもんな
ブラジルとクロアチアとアルゼンチンと戦ってたら片寄っても仕方なくない?
このメンツなら仕方ないよ
いろんな国と対戦してもそんなにメンバー変わらなそう
セリエAって凄かったんだな
楢崎の全盛期って川口越えたのかな
引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1507283652

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